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終わりと始まり

今日は大学の卒業式の日です。津田沼キャンパスの桜がちょうど見頃です。今年は新型コロナウイルスの影響で卒業式が残念ながら中止になり、卒業証書伝達のみとなりました。しかしながら、人生の大きな節目の日であることには変わりありません。卒業生の皆さんのご卒業おめでとうございます。本日の門出を心よりお祝い申し上げます。

 

大学(または大学院)までは、予め年限が決められた組織(環境)にいたのですが、これから社会に出る人は、自分が決断しなければ最大で40年近くその環境にいることになります。そう思うとかなり気が遠くなるような話です。これからは環境が変わる・変える場合は、その組織の都合か、あるいは自分自身です。これがゲームの世界であれば、スタートとゲームオーバー(ゲームセット)は何度でも簡単に出来ますが、リアルな世界ではかなりの気力と体力を必要とします。それに『変える』場合は個人の問題なので、最後は自分で決めないといけません。

 

私が最初の会社を辞める時、辞めようかと思い立ってから何ヶ月か悩み、辞表も書きはじめてからも数日間悩んで書き上げました。そして、建屋から出てきた上司の帰り際に、外から歩み寄って辞表を渡した記憶があります。あの時が無かったら今の自分は無かった。あの時は環境を変えることしか考えていなかった。この駆動力だけがかろうじて私を前に向かせていた・・・。(何を言って渡したか覚えていません)

 

清々しい桜の季節です。心機一転新しい自分に出会いに行こう。自分の環境をつくるのも、これもまた自分自身なのだから。一度切りの人生です。大いに悩み、大いに楽しもう。すべてはこれから始まる。

 

2020年03月25日

今年の1枚

 何となく今年印象に残った風景です。撮影が5月7日の日付なので、ゴールデンウィーク頃のものです。コロナ禍の影響で大学も休み、同様に子供の小学校も休校(自宅学習)だったので、小学校と同じ時限の仮想時間割を作成して昼休み時間に子供と一緒に近くの川に散歩に行った時の1コマです。

 思えば、3月以来の投稿です。振り返ると今年はとても、とても、とても、とても、とても忙しくてブログを書く心の余裕が全くありませんでした。この散歩のとき(自粛期間中)は、その後怒涛の日々が来ようとは夢にも思ってはいませんでした。この写真を見ると、遠い昔のことのように思えます。そういえば今年はそもそもゴールデンウィークなんてあっただろうか?

 今年は何をしただろう・・・。来年こそは・・・。

 

 碓氷川と烏川の合流地点で浅間山と榛名山を望む

2020年12月16日

チームスポーツと研究室

 中・高・大学と体育会の運動部に所属していた。当然、毎年メンバーが変わる。昨年度良い成績を残したとしても、次年度は新メンバーとなるので、同じような成績を残せるとは限らない。また、同様に他校のメンバーも変わるので、同じオーダーや戦術では通用しない。

 指導者やチームリーダーがやり方を変えるのは、メンバーが良い時か、またはその逆のどちらかだと思う。特に後者の場合は、やり方を変えざるを得ない。

 人が変われば、やり方が少なからず変わることは当然のこと。2012年から毎年卒業生を送り出しているが、企業や社会が求めるスキルはハードルは同じ、いや高くなっていると思う。大学の機械工学科卒業という肩書を背負って社会に出ていくとき、最低限のスキルがないと科学技術の変革期の真っ只中にいる現代社会や会社組織の中でうまく泳ぎ切れない、やっていけないと思うのである。

 

 まわりくどい言い方はやめよう。以前、「なぜ、今年は新たに〇〇をやらなければいけないのでしょうか?」と研究室の学生に聞かれたことがある。本当は「君達のスキルがこれまでと比べると足りないからだよ。」と言いたいことをぐっとこらえて「特に理由はないが、今年は新たに〇〇してもらう。」と答えたのがいけなかった。学生には一貫性が無いコロコロと考えが変わる教員と捉えたようだった。

 研究室運営はなかなか難しい。社会の縮図でもある。「君達のスキルがこれまでと比べると足りないからだよ。〇〇をすると△△のスキルがアップすると思うんだ。」とはっきり言えば良かったのかもしれないと少々反省している。

2020年12月28日

2月28日の打ち上げ花火

少し日が経ってしまいましたが、先日の日曜(2/28)夜8時頃、近所の河原から空砲が数発鳴った後、たくさんの花火が打ち上げられた。昨年はコロナで夏祭り自体中止になったが、例年夏祭りの初日に行われる花火大会の場所から。突然のことでびっくりしたと同時に約20分間の豪勢な打ち上げ花火の饗宴に感動し、明日への生きる勇気みたいなものをもらった。

 

僕らはこのようなことの積み重ねの中で、明日への希望を抱いて眠りにつく。明日はきっと良いことがあると思って、そして願って。その中でもこの日は特別な夜となった。とても感動した。ありがとう。

 

2021年03月04日

旅すること

 「明日はどこに行こうか」とか「さて今日はどうしようか」と旅先で考える旅は予め予定を立てて行く旅とは違う。ひとり旅ではこれは自分への問いかけである。

 

 28歳で会社を辞めた後、昼は研究所と言う名の建築事務所でアルバイトをして、夜は夜間の建築専門学校に通った。いつか長いひとり旅をしてみたかった。専門学校の春休みの2月中旬から3月末までの約1ヵ月半をひとりで旅をした。最初の1ヵ月はインドに、残り半月はギリシャそれも前から行ってみたかったサントリーニ島へ。

 インドは東海岸のカルカッタ(現コルカタ)から入って、バスでバングラデシュの首都ダッカに行った。ダッカでルイス・カーンが設計した国会議事堂をみて、またカルカッタに戻った。カルカッタからニューデリーを経由して西海岸のボンベイ(現ムンバイ)までインドを横断した。いくつか見たい建築物があったが、それ以外は特に決めていなかった。とりあえず東から西に行った。

 私には『頭が空っぽ』になる感覚が2種類ある。良い意味での空っぽと良くない意味での空っぽ。会社にいた時は頭の中が真空になったような感覚の「空っぽ」の時がよくあった。これは良くない意味での空っぽ。頭の中なのだがどこか遠くの方でキュッと締め付けられるような少し痛みを伴ったどんよりした重苦しい感覚の空っぽ。一方、ひとり旅での空っぽは良い意味での空っぽ。無の境地というのとは違うが少しさわやかな感覚がある空っぽ。

 ひとり旅はこの良くない意味の空っぽの頭を良い意味の空っぽの頭に修復してくれる効果があるのかもしれない。私はこのひとり旅によって再生できた。というか今思うとそのように感じているのである。再び生きる、生きていこうと思える力というか気力が芽生えたのが多分このひとり旅のおかげだと思っている。この旅の1年半後に、建築の勉強をやめて、また方向転換することになる。

 

 大学卒業時は長期の休みが取れる絶好の機会だが、新型コロナウイルス感染症のためにこの2年間は旅することがかなわなかった。学生の皆さんにとっては、とても残念な時期に出くわしてしまったという以外慰める言葉もない。でも、この先、何もかも一切のしがらみを脱ぎ捨てて、どこか遠くへ行きたい。と思う時が来たときは迷わずひとり旅をしてみるのも、自分を見つめ直して再生することにつながると思うのである。

 

ベナレス(インド)

 

サントリーニ島(ギリシャ)

2021年03月31日

生活とはなんだろう

 昨年からのコロナ禍のために研究や課題を自宅で行うことが増えてきた。実際に提出すべき課題が多少増えているのかもしれず、それはそれで大変だとは思うが、「生活の一部やほとんどを犠牲にして課題・研究を行っている」と言って、提出できないことに対して自己弁護する人がいたのは意外であった。

 

 「生活を犠牲にする。それ、当然でしょ」と思う。だって、自ら選んでここ(大学・学部・学科)に来たのだから。
 小学校、中学校は義務教育なので当然ですが、大学も小・中学校と同じく学校に属していること、それ自体がもう生活の一部なのです。そう、それを自ら選択をしてきたのだから。小中学生であれ、高校や専門学校生でも、宿題や課題が終わらなかったら、夜遅く終わるまでやっていますよ。「生活を犠牲にしてやっている」と先生に言うのだろうか?

 大学時代のことでかなり昔のことだが、私自身も生活費や夏のインカレ、東日本大会などの長期遠征費を賄うために、シーズンオフには九十九里浜の民宿・ロッジで泊まり込みのアルバイトをしたり、南欧レストランで皿洗いをしていたが「生活を犠牲にしている」とは思わなかった。
また、会社を辞めてから通った夜間の建築専門学校の時も徹夜で模型を作ったり、図面を引いたりしていたし、その後大学院で研究生活をした際も、当然学費や生活費を稼ぐためにアルバイトをしていたが「生活を犠牲にしている」とは思わなかった。

 自分で好きで行っていることや選んで行っていることについては、多分『生活を犠牲にして行っている』と思わないのだと思う。そう思ったら多分長続きはしない。

 大学での研究や課題は、その後の人生において必要となるスキル(武器)を獲得するために行っている訓練です。最近一斉を風靡した漫画・アニメ(鬼滅の刃)にならって、『鍛錬』と言えば分かるかも。鍛錬は人を成長させてくれるものでもある。

 私達はいろいろなこととと折り合いをつけながらこの先もずっと勉強し続け、人生を生きていくことになるのだから。自分自身が成長したと思えることは生きていく力、またその後も努力しようと思うことにもつながる。これも含めてみな生活なのだと思うのです。

 

 話は変わるが、1月半ほど前に「『プレステの父』近大新学部のトップに」という見出しで来年4月に近畿大学に設立される情報学部に関する記事が新聞に載っていた。記事にもあったが「世の中はどんどん進化している」。これからのデジタル社会を生きて行くためのIT人材の育成を目指すという。また、この新設学部と連携する研究所の所長にNTTドコモの「iモード」開発で知られる方が所長に招かれたとも書いてあった。この所長の方が記者会見で「大学生は最も無理がきく時なので、貪欲であって欲しい」と語った、とのこと。この記事をみたら『生活を犠牲にして行っている』と不満を持っている先のような人たちはどう思うのだろうか。多分、この環境には飛び込まないでしょうね。自分を成長させてくれそうだ、とも。

2021年04月30日

私にとっての日大

 私にとっての日大は、何と言っても『上松・門馬』です。多分、ほとんどの人はなんのことだか分からないと思います。分かるとすれば私と同世代で、その時期に軟式テニスをしていた人くらいかもしれません。『上松・門馬』とは1983年のインカレ優勝の上松・門馬組(日大)です。この時、私は高校生でした。この時のインカレの試合は見ていませんが、東京体育館でのインドアの学生選手権(多分)は観戦して、その強さは高校生の私にとって強く印象に残りました

 その後、大学でも軟式テニスをしましたが、日大は関東学生リーグ1部でとても強かった。ちなみに私の大学は4部でした。春の関東学連では1部の大学はオムニのセンターコートで行っていて、各校の応援もすごかった。あの当時13部位まであったと記憶していますが、日大も私の大学も現在は何部にいるのでしょうか?今、日大のソフトテニス部は競技部(旧:保健体育審議会)には所属していないようです。

 現在は日大に教員として働いていますが、私の中の日大はあの時のものです。

 時が経っても、高校や大学の時の記憶は不思議なものでかなり強烈に残っています。母校をなんとかしたい、という思いもそういうところから来るのだろうと思います。

2022年06月09日

なにかあったらどうすんだ症候群

 先日(6/8)の日本経済新聞朝刊に『日本にはびこる「なにかあったらどうすんだ症候群」』という記事で元陸上選手の為末大氏のSNS発信について紹介していた。「あっ、これだ。そうそう、これなんだ」と記事を読む前から妙に腑に落ちた。

 記事はスポーツ欄であったが、書かれていた内容は今の日本社会の至る所に見られることであった。この症候群は、実に厄介な代物である。「イノベーション!」といいつつ、一方で「それ大丈夫?危険では」で、なかなかすんなりと進まない。

 これは今に始まったことでは無い。ホンダ創業者の本田宗一郎氏が次のような言葉を残している。
「日本人は,失敗ということを恐れすぎるようである.どだい,失敗を恐れて何もしないなんて人間は,最低なのである.」

 私の講義の最初のガイダンスで『失敗学』の提唱者の畑村洋太郎氏の「だから失敗は起こる」(2007, NHK出版 DVD+BOOK)を見て、レポートを書いてもらっているのだが、レポートの中に『「失敗を避けたがる人が多いが、失敗を通じてものを見た方が、よほどものの本質が見える」と言っていたのは衝撃的。』ということを書いた学生がいた。

 最後に、以下も本田宗一郎氏の言葉である。
「チャレンジしての失敗を恐れるな.何もしないことを恐れろ.失敗が人間を成長させると私は考えている.失敗のない人なんて本当に気の毒に思う.困れ.困らなきゃ何もできない.自分の力の足りなさを自覚し,知恵や力を貸してくれる他人の存在を知るのもいい経験である.」

2022年06月30日

MAGNETICS

 年の初め、ラジオを聴いていたら”MAGNETICS”という木村カエラとAIの歌声が聞こえてきた。
『You make me happy ってこれってMAGIC?』
『磁石みたいに 惹かれ合う』
『磁気磁気磁気直段々』

 とても軽快な音楽と詞でウキウキし、そして何よりも、タイトルが私の専門分野のマグネティックなので、すぐに気に入った。「磁気磁気磁気直段々」は映画「チキチキバンバン」の挿入歌を思わせる(ある年代以上の人しかしらないかも。このチキチキバンバンれは車のエンジンの音であった。)

 今年は兎年、新しいことに挑戦したいと思わせる曲であった。ウキウキする年にしたいものである。

2023年02月05日

ロケ

 家の近くに1~4階は総合保険センター、5,6階に中央図書館が入っているかなり立派な公共の建物がある。
 昨年末(多分、10月頃だったと思う)にその建屋の周囲に多くの人混みが出来ていた。人混みの隙間から見てみると建屋エントランスと立て看板が変わっていた。神奈川県立大学病院 界星堂病院と。多くの報道関係者らしき人がいて、大々的にお披露目をするような感じであった。同時にこのような立派な建物を維持していくのに、市の財政上多額の費用が掛かるので、市は売却するのだな、と思った。それも何故か神奈川県立の大学病院に??とは思ったが、買い手があればどこでもいいのかなとその時は思ったのであった。

 騙されてしまった。テレビのロケだったのである。あの立派なエントランスは大掛かりなセット、つくりものだったのだ。
 今、民放テレビで「大病院占拠」というドラマがやっている。家族皆で興味深く視聴している。テレビでみるその建屋は、6階の上にさらに3、4階(?)をCGで建て増ししていて、巨大すぎて、見るたびに笑ってしまう。
 最近、私の住んでいる市は映画やテレビのロケ地として、名乗りを上げているようだ。街おこしの一環なのだろう。これからも騙されないように気を付けないと。それと、近くの図書館が無くならなくて良かった。


2023年03月03日

ダッカとアーメダバード

29の2月から3月に、インドを一人旅した。
当時、建築家になることを夢見ていた。近代建築の巨匠といわれるルイス・カーンとル・コルビュジェの建築を建築家を志す学生が通るように写真や設計図などを羨望の眼差しで眺めていて、実物を見たいと思い、見に行った。バングラデシュの首都ダッカの国会議事堂(ルイス・カーン)、アーメダバードの繊維業会館(ル・コルビュジェ)。建築そのものもそうだったが、現地での体験や空気感が今も頭に残っている。

まず、ダッカ。インドのカルカッタ(現:カルカタ)から、深夜特急バスでダッカに入った。深夜特急バスは荒い運転だった、完全舗装とは言えない道路をクラクションを鳴らしながら、抜いて抜いて突っ走る。時たま、トイレ休憩として、荒野で(全く暗くて荒野かどうかも分からない)止まり、用をたす。明朝に、ダッカの郊外(?)のバスターミナルに着く。バスから降りた時、カルカッタより湿気が多く感じられた。そこから満員の路線バスに乗り、国会議事堂へ。
芝生の中、それも水上に浮かんでいるような巨大な建築物。
芝生からずっと眺めていた。持参した小さなスケッチブックにスケッチしながら。
時たま周りを歩いた。
スケッチをしていると、何人かのダッカの人たちに声を掛けられた。
幾つかの出会いがあり、いい思い出ができた。(が、その時の話はまたいつか。)

アーメダバード(アフマダーバード)はインド西部のクジャラート州の都市である。パキスタンに近い(といっても900 Km位あるのだが)ためか、乾いた土地だった。砂ぼこりの街、裸の山々が印象に残っている。街中や郊外には、地下を掘った階段井戸などの遺跡が多い。サバルマティー川の近くにある繊維業会館では、スロープを上ったピロティ上の屋外空間には欧米からの旅行者、男性と女性が別々に涼んでいた。多分、彼らも建築の学生なのだろう。
だが、何と言ってもアーメダバードはシャトルンジャヤ山の山岳寺院都市の記憶。山、それも裸の山の上に寺院群がある。山上からの光景は荒野が広がっていて、なんともとても遠くに来たような、寂しさを感じた。

やはり、旅はいい。自分の目で見て、自分の足で歩いて。その土地の人と何気ない会話をして。そして、何よりもその土地の空気を吸って。

 

2023年03月19日

多様性について

 「多様性の科学」という本(マシュー・サイド著、2021年)を読んだ。組織や企業でイノベーションを起こす(それ以前に健全な組織としてあり続ける)には多様性が如何に大切かを多くのエビデンスを基に科学的(統計的)手法で解説している本である。中でも「平均値の落とし穴」は普段実験の平均値を導出し、それを基に議論している身にはとても考えさせられた。
 米空軍機のコックピットは1926年に標準規格化されたものであるが、事故が絶えなかったという。そこで、4000人のパイロットの身体測定を実施した。その結果が面白い。測定項目(10項目)の全てが平均値の許容範囲(中央値の30%以内)に収まっていたパイロットは一人もいなかった。パイロットも十人十色ということである。平均を採用した設計をすればよい、というものでは無いとのことだ。これと同じことがダイエットにも言えて、皆が確実に血糖値が上がる食べ物は無いようである。人それぞれ異なっており、一般に体に良いと言われている食べ物でも血糖値が上がり、太る人もいる。これも十人十色。
 もう一つ、「硬直したシステムが生産性を下げ、離職率を上げる」にはうなずいた。最初からインストールされているブラウザではなく、自分で選択してインストールし、自発的にカスタマイズする人は離職率が低い、とのことだ。絶えず変化を続ける世の中では、初期設定に疑問を呈する力があるかどうかは大きな違いをもたらす。マニュアルに縛られず、自分なりに工夫することは、満足感を感じながら、高い生産性を発揮する、のだそうだ。

マニュアルの枠から出て、悩もう。最初は平均を採用しても、これが「最善」ではないかもしれない。
「精神的にしなやかな人」「フットワークが軽い人」「試行錯誤する人」。
悩もう。疑おう。考えよう。

2023年03月21日

他人の研究より、自分の研究を

人を対象にした研究のアルバイトを行っていた学生がいたが、肝心の自分の研究は全く進んでいない。アルバイトを募集していた研究室の先生に、これからは学生がアルバイトができる状況にあるか事前に連絡するようお願いした。

2023年02月27日

入学歓迎の挨拶

4月から学科主任となり、4/5のガイダンスにて新入生の前で歓迎の挨拶をした。以下のようなことを話した。
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皆さん、日本大学 生産工学部 機械工学科にご入学、おめでとうございます。
学科教員一同、皆さんを歓迎致します。皆さんは、高校生活をコロナ禍の下、多くの制限がある中で過ごし、頑張ってこられたと思います。大学では4月から授業やサークルもコロナ前の状態にほぼ戻します。これから、思いっきりキャンパスライフを満喫して下さい。

この中には、第1志望の人、不本意な入学と思っている人、様々は人がいると思います。ですが、ここでお会いしたのも何かの縁です。出口(就職)については、この後お話があると思いますが、本学の就職率は非常によいので、皆さんも頑張って下さい。本学科には、研究においても各分野で第一線で活躍している先生方がいます。我々はベストチョイスと思って頂けるよう、ベストをつくして皆さんをサポート致します。

本日は私から祝辞として、2つのことをお話ししたいと思います。
一つは、多くの人と接し、多様な価値観に触れて、友人・知人をたくさん作って下さい。同性、異性関係なく、大学時代の友人は今後の人生において、かけがえのない宝物になります。また、出会いや別れは人を大きく成長させてくれます。同級生でなく、先輩や我々教員でも大いに結構。積極的に自ら声をかけてください。不安に思っているのは皆、同じです。是非、今日の帰りにでも一人には声を掛けてみてください。

二つは、大学にいる間に自分を見つめて、これだと思う道を見つけて下さい。
当初、「若いうちにたくさん失敗をして下さい」と言おうと思っていました。昨日、新聞を読んでいると、一昨日は多くの企業の入社式のため、社長の訓示が載っていました。日産自動車の社長の祝辞は「失敗を恐れずチャレンジして下さい」とのことでした。これを読んで、新社会人でない大学に入ったばかりの学生に何をチャレンジすれば、と逆に問われかねず、新入生にはピンとこないかもと思い、やめました。他方、日立製作所の社長の祝辞は、『仕事とはするべきことをすること』と言った後に、『社外に「するべきこと」を見出すかもしれないが、それも素晴らしいことだ』というものでした。これには二つの意味があると思っています。「これからは終身雇用が崩れるよ」ということと、「本当にするべきことを見つけることは素晴らしいこと」だとも。これを読んで、こちらかなと思いました。

大学時代におおくのスキルを身に着けて、本当にしたいこと、自分がこれから進む道を見つけてください。大いに遊び、大いに学び、大いに悩んでください。中途半端はいけません。やってみて、途中で変えてもいいのです。一つのことに一生懸命になるということは、必ず今後の糧になると信じています。
これをもって、入学歓迎の挨拶とします。

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教室が2つに分かれていたので、2回同じことを話しました。やはり同じ挨拶を2回するのはちょっと・・・。1回がいいですね。

前日に体育館で開講式を行い、会場一杯に座っている新入生を壇上から見ていました。
ああ、コロナ前の日常に近づいてきんだな、と若い学生を見ながら実感し、本当に新入生皆がキャンパスライフを謳歌して欲しい、と思いました。

2023年04月06日

Cooking と Research

「料理と研究」は似ている。検索したら、最近のバイオ系の英論文誌にも次のような一節があった。
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科学と料理には重要な共通点がある。どちらも、新しい結果がオリジナルで一貫性があり、再現可能であることを保証するために、観察、経験、直観、および時間をかけてプロトコル/レシピを最適化する必要がある。

(途中省略。続けて、・・・)

レストランの中には、次のシーズンのメニューの準備に取り組むために、年に数か月間休業するところもあった。
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料理は楽しい。
上記の「料理」は新しい創造的な料理をつくる際においてのことだが、レシピを少し変えて、自分流にアレンジし、その味を楽しむのも楽しい。

研究も楽しい。
研究はレシピをゼロからつくる。誰でも再現できるようなレシピ(手順)で、その結果を料理(考察)して、そして新しく普遍的なものを引き出す。

研究の初期段階は、やることは無限大だ。つまりレシピが無い。料理の仕方も無限大。それぞれに引き出される味も異なることであろう。
その味をじっくり楽しみたい。

2023年11月05日